小説とアクセサリーの親和性について

こんにちは! 絹田屋です。
いちくらアドベントカレンダーに参加しております、今回の記事。テーマは【小説とアクセサリーの親和性について】になります。
小説とアクセサリーの親和性について
絹田屋の創作は、一次創作にあたります。その中でも更にジャンル分けすると、一次創作BL小説になります。
それにプラスして、作中のストーリーを彷彿とさせるものやキーアイテムを具現化し、イメージアクセサリーとして制作しています。
私の創作は、文章とアクセサリーの二つの軸で成り立っております。
なんでこの組み合わせなの? それってありなの? 親和性どうなの? という切り口で、絹田屋の紹介もしつつ、つらつらと語ってみようかと思います。

内容はご覧の通り。

【小説】を書く理由と根拠

正直申し上げます。高尚な理由は一つとしてございません! 滾ってしまった結果、アウトプットの効率が一番良かったのが小説だった、という理由です。
詳細は以下に述べてますが、すっとばしてもいいです。

拙作の《竜胆を胸に抱く》は、ベタ惚れ屋さんというガラス細工の方が作製した、真っ赤なガラスピンがきっかけです。

ベタ惚れ屋さんのツイッター
@betaboreya_jp
ベタ惚れ屋さんのminne
minne.com/betaboreya

「親友の血を固めたピアスって浪漫があるよね」という旨のツイートにまんまと釣られ、「ガラスに親友の遺灰をいれるのも浪漫ありますよね……!」とリプライをしたのがきっかけで、とんでもなく話が盛り上がりました。
『遺灰くん』と『遺灰になっちゃうくん』と称した二人の性格や背景を語りあい、萌を爆発させ、滾りに滾ってしまって爆発させた結果、《竜胆を胸に抱く》の第一話の元になった話が出来上がりました。(2015年の12月25日だったと記憶しています。三年前!)
いらぬ補足かもしれませんが、『遺灰くん』が珪、『遺灰になっちゃうくん』が清陽です。

そこから小説の活動がスタートしました。当時《たぬきな杜》で活動していたたぬきでしたが、作風があまりにも違う&小説というアカウント色でもない、ということで
たぬきをひっくり返してきぬた(ほのぼの自然派な作風とは真逆の耽美&浪漫だったから)、ベタ惚れ屋さんから一字もらってきぬた屋、漢字変換にして絹田屋にしよう! という安直極まりない命名のもと、絹田屋は爆誕しました。
そこからツイッターアカウントを開設(2016年2月1日)、サイトを開設したのがその二週間後くらい。本編の完結が2016年3月という衝動でしかないスパンで突き進み、今にいたります。
そう考えると、【松虫草で弔って】を続編として発表したのが今年2018年の11月でしたので、かれこれ2年ほどで生み出したものという事になります。

【イメージアクセサリー】を作ると思い立ったきっかけ

上記でも書いたように、アクセサリーから生まれた話を書きたくったので、むしろアクセサリーが無いのが考えられなかったです。
特に浪漫を感じるものを! と飢えにも近い衝動で考えついたものはいくつかありました。
瓶詰めされた爪や歯、標本化された心臓、遺髪のコサージュ、etc……。個人的にはエモいんですが、「いや、アクセサリーにするなら身につけたいものじゃないと駄目でしょ。これって私個人が眺めたいだけじゃん」と思い却下しました。
「アクセサリーじゃなくていいよね、それ」と問い掛けを自身にし続け、残ったのは『滴るピアス』『遺灰の指輪』『鼈甲色の瞳』『絶佳の星空』『翠青の夏海』『冬窓の霜花』でした。
最も人気なのは『滴るピアス』『遺灰の指輪』ですね、やはり。アイキャッチになるのは『鼈甲色の瞳』です。サークルカットにしていたりもしました(*´∀`*)♡

【言語を含むもの】と【言語を含まないもの】

なんで小説とアクセサリーの組み合わせなの? ということを質問されることは結構な頻度であります。(ネット上だけでなくリアルでも)
実は、この二つで完結させるつもりは無いのです。絹田屋としては、「リンクし合うもの」「切り口が変わった同じもの」を作りたいと思っています。
ただ、技術的に間に合っているのが小説とハンドメイドなので、今はその形で落ち着いているというのが現状です。(精進します)

「リンクし合う」といえど、なんでも関連し合えばいいというものでもないです。アニメ化も実写化もなんでもかんでもOKかといわれたらそうでもないように、親和性の問題は必ずあります。
クリエーションできるものは二つに大別できると考えています。
【言語を含むもの】と【言語を含まないもの】です。

【言語を含むもの】というのは、小説、映画、ボーカルのある曲、漫画、アニメ等です。
【言語を含まないもの】は映像(インスタレーションなど)、インストゥルメンタル、絵画、彫刻、工芸品、ハンドメイドです。
中間としてはダンスでしょうか。含まない寄りかとは思いますが。
それぞれ微妙なラインにたっているジャンルもありますが一旦横に置いておきます。

昨今、オリジナリティを獲得するのに様々な手法をだれもが模索しています。一つの分野にたいして革命的なことを引き起こすのは大変な労力です(そしてそんなしょっちゅうイノベーションが起きても困る)。
今までになかったもの同士をくっつけて新しいものを産もうとすることで<自分にとっての何か>を確立するほうが、現代では合っているのかもしれません。
<自分が出来ること><自分がやれること>を持ってして、<自分のやりたいこと>に繋がっていくものだとも思います。

組み合わせについては、数だけなら膨大な数あることでしょう。その中でも、親和性があるものを選び取ることで自分にあった創作を作り上げられると思っています。
親和性がある=拡張性をもつ、という意味に捉えてもらうとわかりやすいかもしれません。

【小説】と【アクセサリー】の親和性

現在の絹田屋、こだわりは一点だけ。
【言語を含むもの】同士は、連結させない。
これに尽きます。

【言語を含むもの】は限定的です。隙間を許さないほど綿密に組まれた世界観を楽しむのも良いかもしれません。ですが、大抵読者はその隙間に架空の自分を滑り込ませたり、仮定を作り夢想をのせます。
ちょっとの隙間を残しておかないと、その作品には入り込めず読者は置いてけぼりになる、と絹田屋は考えております。
言語で組み上げた世界観には、それを抽象化する物体または視覚的情報で隙間を生み出す(または再注目させる)ことで、相互に引き立てる関係が持てます。
アクセサリーは【言語を含まないもの】であるため、小説で限定した世界を更に細分化することなく拡張することが可能です。

ちなみに、【言語を含むもの】同士が駄目なのかというと、全くそうではありません。
【言語を含むもの】同士は限定し合うからこそ、世界観の作り込みや解像度を上げる面では最高の組み合わせだと思います。
言語と映像・音楽を有し、絶妙なバランスで成り立つものは、浸透しています。ミュージックビデオ、映画、歌劇などなど。丁寧に説明をしているか、一般常識として浸透しているものの積み重ねを慎重に行ったコンテンツであればすんなり受け入れられると思います。
限定し続けるからこそ、技術的な革命が直接手法の革命にもつながるところなのかなぁと思ったり思わなかったり。
(つまりは同人から始めて注目される存在になるには、それだけ技術と労力が必要になるかなと踏んでいます。)

ちょっと話が横にそれましたが、絹田屋の作品としては、小説⇔アクセサリーで、どちらからも行き来出来る世界観づくりを心がけております。
リンクし合い、かつ親和性が良いものの最小構成としても、小説とアクセサリーの組み合わせは(持論のなかで)理にかなっていたりします。
そして、一次創作界隈であまり人口がいない分野でもあります。そこで絹田屋は<自分にとっての何か>を模索中でございます。
漫画・アニメとアクセサリーの組み合わせでも良いと思っています。が、それってなんてプリキュアコンテンツ? とおもって手を出してません…(笑)
仮面ライダーのベルトも、ポケモンのモンスターボールも、つまりは【言語を含むもの】と【言語を含まないもの(だがそれを強く想起できるもの)】の構造というわけです。
私がやりたいことは世界観の解像度がぼやけない程度に明瞭にし、拡張性をもちたいと考えているためでもありますが、スキルと機会が追いつけば言語×言語の組み合わせにもチャレンジしたいですね。。
まずは小説×インスト音楽、アクセサリー×テキスト込の映像などでしょうかね。

もちろん異論は認めます。なんといっても持論ですから!

1月20日の文フリ京都で、ちょっぴり進化した絹田屋をお見せするべく、原稿めっちゃ書いてがんばります……!