春は嵐のように

 例えば僕を知らない人が、僕が日の本言葉で話し出すのを見れば驚くだろう。
 例えば僕を知らない人が、大勢の前で何か目立つ事をすれば目を離せなくなるだろう。
 そして僕は今、正にその只中に居た。
 見渡せば僕のこれからの同級生と数十名の先生方、それから幹部役員と思しき先輩方。新入生代表として立つ僕の、挨拶を固唾を飲んで待って居る。いたずら心に英語で話そうかと、一瞬脳裏を掠めたが、愛しい幼馴染みの視線が刺さる。
『余計な事をしでかすなよ。』
 入学式が始まる前に釘を刺された言葉が蘇り、僕はクスリと笑う。目は口ほどに物を言うとはこの事だ。珪は眉を寄せて僕を睨んでいることだろう。
「──暖かな風に誘われ、桜の蕾も開き、私達新入生はこの高等学校の一年生として入学式を迎える事が出来ました。」
 予定していた挨拶の出だしを歌うように声に出す。ざわめく人の声が心地よかった。
「門へと続く桜は、まるで私達を歓迎しているかの様でした。本日はこのような立派な入学式を開いていただき、ありがとうございます。」
 先生方、先輩方の席へ向かって頭礼を一つ。完璧と言える姿勢で丁寧に礼をし、おまけで微笑みを一つ。身動ぎしない男が一人居たが、他は礼を返してくれた。
 嗚呼、本当に僕を、新入生代表として選んだのだ。実感が今更湧いて出る。
「初めての登校に大層緊張しながらくぐった門でした。しかし、先生方、先輩方、そして来賓の皆様からの励ましに、これから共に学ぶ同級生の姿に、緊張よりも期待が大きくなりました。」
 明るく笑み、はきはきと。父様や母様は見てくれているだろうか。ふいに嬉しさと照れが入り混じり、僕は歯列を舌でなぞって唾を飲んだ。
「これからの三年間、私達にとって掛け替えなのないものになるでしょう。友と切磋琢磨し、認め合い、広い心を持ち、良き理解者になるべく、研鑽していく事を誓います。」
 僕の見目は未だに珍しい。日本で生まれ日本で育ったとしても、それを外見から認めない人間が居る事を僕は理解している。それこそ、場合によってはここに立つことすら無かったかもしれない。
 日本人らしくない者が、上位に立つこと。それは純粋な日本人の、しかも目上の人にとっては何かしがの負けを認むるに等しいという価値観がある。否、そう感じる人がほとんどだろう。
「私達が精一杯考えたとしても、誤る事があるでしょう。その時は正しい道をご教授願いたく存じます。」
 緊張はしていなかったと言えば嘘になる。それでも恐怖は無かった。僕には珪が居る。僕を美しいと言い、認めてくれる僕の珪。そして父様と母様も居る。
これ以上にない、恵まれた僕の未来に胸が膨らんだ。

 恙無く入学式が終わり、僕達は会場を後にする。クラスへと戻る道中、クラスメイトたちにすっかり囲まれていた。
「僕の珪、見ていてくれた?」
「勿論だ、己れの清陽。とても立派であった。」
 まるで自分の事のように誇らしい、と言葉を付け足す珪は、大変満足そうだった。
「なぁ、宗田に五月女。気付いたか。」
 クラスメイトの一人が声を潜め、僕らに耳打ちする。
「何がだい?」
「代表挨拶からずっと、宗田に釘付けだった先輩が居たんだ。」
 僕はキョトンとした。心当たりはあった。身動ぎ一つせず、目を見開いていた大柄な人が思い浮かぶ。
「どんな奴だ。それは。」
 明らかに機嫌を損なった珪の声音に、僕は少し可笑しくなってしまう。
「ほら、先輩方が座っていた席の、手前から三番目くらいに居た。体格が良い人が居ただろう?」
 嗚呼、やはり。
「仕方がないよ。僕は日本人離れした外見だし、珍しかったのではないかな。」
 良くある事さ、と加えれば「全く気に入らぬ」と吐き捨てる珪に、僕は笑みを深くする。
 僕の珪、それはヤキモチって言うんだよ。なんて言ったら可愛い反応が返ってくるだろう。
不意に、背後からものすごい勢いで駆けてくる気配がした。どよめきは大きくなり、その存在は大きな岩のような影を落としながら、僕らの前へと回り込んだ。
「……何かご用ですか。」
息を切らしてやってきた大男は、暫く僕を見下ろし、やがて大きく息を吸った。
「貴女に!」
硝子窓がビリビリとするほどの大声だった。反射で身が竦む。その隙を使ってか、大男は僕の両手を取った。
「貴女に、惚れ申した!」
 えっ! と思わず声を上げた。混雑した廊下で、所謂《男が認める男らしい人》が僕をじっと見る。頬は赤いし、眼に熱がこもっている。握られた手は熱く、汗が滲んだ。走ったせいもあるだろう。でもそれだけでは無い理由があるのは明白で、分厚い唇がまた息を吸うために開いた。
「この様な武者苦しい所へ現れた理由など、分からん。しかし、一目見て雷に撃たれたのだ。初めてだ、この様なことは!」
 冷やかしや大法螺でないことは明らかだ。嗚呼、驚いた! たったこんな短い間に、この人は僕に恋慕しているという!
「そんな、……困ります。」
 眉をハの字に寄せ、蚊の鳴くような声で僕は言った。握る力が強くなり、男の息が詰まっていく。本当に、本気みたいだ!
「……そこなる先輩。」
 これは面白くなりそうだ。僕の珪といったら、冷たい眼をして、声に怒りを含んでいる。無理矢理に僕から手を剥がしたと思えば、丸で汚い物を触った後みたいに 手巾 ( ハンケチーフ ) で手を拭った。
「そいつは、己れの連れです。」
 僕と男の間に入り込み、睨みつける。例え体格差があったとしても、怯むことなく向かうのが珪だ。男は腕に自信があるのだろう。手を握っていた時とは打って変わって、余裕の様子だ。珪を鼻で笑う。
「何だ、貴様。俺を知らんのか。」
「知らんです。次いでに言うなら興味も無い。」
 僕の事となると、珪は視野が狭くなる。早速敬語は抜け落ちているし、睨み合う距離がどんどん近くなる。
 豪快に笑いだした男は、良いだろう! と一声上げ、胸を張った。
「生まれは九州、育ちは東京。いずれは九鬼家一番の使いとなり、日の本の未来を背負う男!
 姓は鳳、名は竹造! 《大嵐の竹造》とは俺の事よ!」
 名前を聞いて入学前に配布された組織図を思い出す。鳳、というこの人は副団長を務めている人だ。九鬼といえば知らぬ者はいない。名を轟かせる華族であり政治家である。鳳家は九鬼家と代々続く主従の関係であったはずだ。内外から補助する役目──つまりは、この人は政治家の息子であり、この学校でも幹部にあたる役職を与えられて居る人物ということだ。
 成る程、僕はずいぶんな大物に目を付けられたらしい。無論、僕の珪も。
「口上まであるとは、余程自らを過信していると見た。」
 かと言って、珪の勢いが削げるでも無い。互の目の奥で燃える炎は周りの観客を冷や冷やとさせ、一触即発の空気が漂う。
「ほう、今年の一年坊主はよっぽど命知らずらしいな!」
「はっ、初対面で己れの連れを口説く狼藉者に何の遠慮が必要というのか。恥知らずな先輩が居たものですな。」
 ああ言えばこう言う! ああ、面白くなってきた! 僕は口許を両手で覆って俯く。こんなの堪えられない!
「鳳! 待て、落ち着け!」
 良く響く声が廊下の先から聞こえてきた。すまんな、通してくれ、とどうにも腰が低そうな言葉も混じる。やがて現れたのは妙に痩せた背の高い──風貌から案山子を連想するような──蛮カラな男だった。
「莫迦かお前は。何処ぞに消えたと思ったら、新入生相手に何をしているのか!」
 鳳先輩と珪の間に入って、先輩の両肩をガクガクと揺さぶる。
「寮長、手を出さんで頂きたい! この無礼な、烏の様に真っ黒で瓜の様に小さい奴は、この俺に令嬢の前で恥知らずと宣ったのだ!」
「この弩阿呆!」
 もう限界だ! 僕はとうとう、笑いを堪えられず、ケラケラと笑いだしてしまった。突然大笑いする僕に周りはポカンとする。珪は米神に手を押さえつけて、溜息を吐いていた。
「な、何が可笑しいのですか。そうだ、何故貴女の様な麗人がこの学校にいるのです?」
 狼狽える先輩の姿に僕はますます笑い転げた。
「あのな、鳳。この学校には、男児しかおらんのだぞ!」
 寮長と呼ばれた男が、一喝。制服もキチンと着ているだろう!と叫びに近い一言を添えて、背中にバシンと平手打ちをして大きな音を立てた。
「男……!?」
 ようやく事態が飲み込めてきたのか、鳳先輩は愕然とした目で僕を改めて観察しだした。それに向き直り、先輩の手を取り、胸部へと押し当てる。鳳先輩は勿論のこと、周囲も分かりやすく動揺した。
「新入生代表として、本日挨拶させて頂きました。宗田清陽と申します。立派な、列記とした男ですよ。」
 鳳先輩はパクパクと口を開け閉めして、言葉が上手く出なくなっていた。
「そんな、信じられん。こんなに細く、白く、柔らかな手で、男と申すのか!」
……少し、カチンときた。僕が女性に見間違われることは、最早仕方がない。でも僕は女性扱いまで許したわけではない。ニッコリと笑い、そのまま先輩の腕を掴んだ。
「そうです。それでも良いということなら──!」
 身体の軸と回転を使い、先輩を投げ落とした。ドーン、ともバーンとも聞こえる音が辺りに響く。名門たるこの生徒なら受け身の一つくらい朝飯前だと思ったし、この体型なら何か運動に打ち込んでいると踏んだからだ。寮長と呼ばれた人も珪も目を丸くしていた。
 ああ、愉快だ!
「僕より強い男であれば、口説かれて差し上げます。どうぞよろしくお願いしますね。」
 また微笑みを一つ。鳳先輩は何が起きたのか分かっていないようだった。もしかしたら僕の表情は、冷たく映ってるかもしれない。
「清陽!」
 強く呼ばれて振り返る。逃げるぞ、という手振り付きだ。
「珪、見ていてくれた?」
「莫迦者、やり過ぎだ。」
「さっきまで鳳先輩とやり合おうとしてた珪に言われたくないな。」
 最早長居は無用だ。自分たちのクラスへと歩き出し、珪とのお喋りを続ける。クラスメイト達もまた、僕らにつられて歩き始めた。
「おい、鳳。大丈夫か。」
「──……しだ。」
「ハ?」
「天使が現れた……!」
「嗚呼、駄目だワ、こいつ。」
 だから、僕はこの後《翡翠の天使》だなんて渾名を付けられるだなんて、想像にもしてなかったんだ。