紺碧の湖に希う

 ◆ ◆ ◆ 
 
 浮かれ過ぎた罰なのかもしれない。次の日の朝、僕は微熱を出していた。
「センセ、今日の夜はどうしても、外に出たいんです。」
「そうは言ってもね……。夕方の様子次第だよ。」
 苦笑しながら、僕の額を撫でる。普段温かく感じる先生の手が、今日に限って少し冷たかった。
 喉が少し腫れてる感覚はある。先生に診てもらいながら、軽く咳き込んだ。
「一応、胸の音も聞いておこうか。」
 僕は寝巻きのボタンを辿々しく外していく。前開きのそれは簡単に脱衣できるからと、母様に選んでもらったものだ。肩を滑って寝巻きが落ち、ベッドの上のシーツに混ざる。
 火照った身体に、ひんやりとした聴音機が当てられる。息を詰める程ではないけれど、その感覚に背中が震えた。
 大丈夫だよ、と言葉を添えて僕の手を取る。先生はどの患者にも、こうやって接するのだろうか。親密で、親切だ。医者だからといって、皆がみんな、心優しくあり続けられる訳ではない。
「……センセ。僕、悩んでる事があるんです。」
「何かな。言ってごらん。」
 漠然とした不安として抱えていた事を、言葉にするのは初めてだった。
「死んだ後のこと……。」
 気安い励ましが欲しい訳じゃない。皆に平等に訪れるものだと諭して欲しい訳でもない。そんな事は分かってる。ただ、それでも不安なものは不安だ。
「治らないと思ってる訳じゃないんです。ただ、何かあった時に、僕の珪に何が残せるだろう、って。」
 口にして初めて、矢張り他人に答えを求めるべきではない疑問では無い事に気がつかされる。
 僕は病を抱えながら、探し続けるしか道は無い。
 外の風が強いのか、窓枠がガタガタと鳴る。差し迫ってくる物が、すぐ側にまでやって来てると錯覚してしまう程度に、それは矢鱈と喧しく聞こえた。
「……僕ね、よく知る友人が亡くなっているんだ。」
 先生は相変わらず、お日様みたいな温かい雰囲気のままそう言った。だいぶ前の話だけどね、とも付け足す。
「学生時代は随分と濃い時間を過ごした。だからね、忘れるなんて事は無いよ。」
 僕の手の甲を撫でながら、子供を寝かしつける時の昔話を聞かせる様だった。
「その人と、どんな事をしましたか?」
 僕は僕で、物語の続きを迫る幼子みたいだ。
「僕は医者志望で、彼は商家の生まれでね。船乗りになりたいとも喚いたりもしてた。」
 僕と珪の関係に、ちょっとだけ似ている。僕は父様の跡継ぎであるし、あちこち飛び回る仕事というのも面白そうだと思っているから、商学科を選んだ。
 珪は珪で、医学科へ進むと決めて入学している。生真面目そうな先生になりそうだと揶揄ったのは、いつだったか。
「珍しい本を譲ってもらったり、夜から朝まで語り合ったり……。思いつく限りの楽しそうな事はしたよ。」
 当たり前だけど、迅人先生にも子供時代があったんだ。鬼ごっこもしただろうし、お洒落をして街に繰り出したりもしただろう。僕とシリカみたいに、小川で泳いだりしたかもしれない。
「その中でも、思い出深いものは?」
 僕は遠慮なく聞く事にした。先生は先生で、昔話が楽しいみたいだった。その友人が、今でも生きているみたいに感じられるくらい、迅人先生の話は活き活きとしている。
「不思議なものさ。忘れていた訳じゃない。けど思い詰める事は無い。それでも、思い出す時は全て昨日のことの様だ。」
 いつもより、診察時間が長くなってしまった事に気がついて、先生は照れ臭そうに頭を掻いた。
「なんて、参考にならないよね。」
「そんなことは、ちっとも。」
 素直にそう思える。僕と珪も、きっとそういう物になれると確信が持てる。互いがすぐ側に居なくても、存在を感じられるなんて、素敵な事だ。
「嗚呼、でも。今にも結び付いている物があるとすれば、彼から譲ってもらった医学書だね。衝撃的だったから。」
 鞄に道具をしまいながら、先生は大事な事を思い出した様に顔を上げる。
「何が載っていたんですか?」
「解剖図さ。僕は留学出来なかったから、向こうの最新医療が分かるのはありがたかったし、糧になったと言えるね。」
 
 解剖図。
 
 僕は、眼前が拓けた心地になった。
 世間話のつもりだったけれど、何という収穫だろう! 
「さて、日中は回復に努めるんだよ。」
「はい、迅人センセ。」
 先生とその友人の関係は確かに素敵だけれど、それは果たして僕が望むものだろうか。
 先生が扉を閉めた音を合図に、僕の頭の中には思考の渦が現れた。
 僕は、僕が居なくなった後の珪にも愛され続けたい。珪のお嫁さんや子供は見てみたいけれど、僕以上に愛される存在は認めたくない! 
 
 それなら、それなら……! 
 
 僕の熱っぽい頭は、普段閉じ込めている汚い部分や良識的ではない考えさえも使って、僕にとっても珪にとっても得難い幸福の実現方法を組み上げる。
 それはあまりにも魅力的で、退廃的だ。珪の人生を丸ごと奪う様なものだ! 
 一世一代の企みといっても良い。けれど、完全無欠にするには様々な課題が残る。それでも僕は、試してみたくなった。否、これしか道は無いとさえも思える。
『僕の命が、いつか珪の役に立つなら……。』
 僕は考えに夢中になるうち、深い眠りへと向かっていった。
 
 ◆ ◆ ◆ 
 
 その日の夕方。先生と二人きりになるのはこれを最後にしようと決める。僕の珪はすっかり御冠だし、先生からは収穫もあった。
 深く寝入ったのもあって僕の熱は何とか下がった。夜の外出は、きちんと温かくする事を守れば良いとされた。
 心臓の音を確認する為、朝と同じく寝巻きを緩める。
「ッ……、ん……。」
 朝よりも冷たい感触はしないけれど、触れる瞬間はどうしても慣れない。
「セン、セ……。僕にも出来るかな。僕のシリカに、ずっと忘れられない様になること……。」
 勿論だとも。そう言いながら、昼間と同じく僕の手を取って安心させてくれる。心臓も肺も異常は無いと判断され、先生は道具の片付けを始めた。
「油断しては駄目だからね。」
 小川へ飛び込んだ前科もあって、先生はかなり確りと念押しした。僕は舌を出しつつも、約束は破らないと誓う。
 外出するならどうせ着替えるからと、寝巻きはベッドの上に放りっぱなしにした。先生の前で衣服を整えないまま見送るのは流石に失礼かと思ったけれど、先生は「今日は見送らなくて大丈夫だよ」と別れの挨拶をして、部屋から出て行く。廊下にいる僕の珪と話をしてから帰ることになるだろう。
 僕は、ベッドから出て部屋の出窓から外を眺める。昼間の風が雲を払ってくれたお陰で、空は綺麗な夕焼けとなっていた。変わらず風が強く、窓枠が揺らされている。木々は嵐の日の様にうねっていた。
 先生が出て行ってややあってから、シリカが血相を変えて飛び込んできた。嗚呼、相当にヤキモキしていたんだなと僕は察しつつ、敢えて景色から目を逸らさずにいた。
「お前、先生と一体何を……!」
 ……もしかして、僕が上裸だから、何か良からぬ事をしていたとまで思っているのだろうか。
「……何だと思う?」
 出窓を背もたれにして、ゆったりとした動作でシリカに笑いかける。僕の企みに落ちるシリカは、その時どんな顔をするだろう。そう思うと、顔が笑み歪んでしまうのを止められなかった。
 僕を射抜く鋭い瞳には、洋燈の灯火が映り込んでいる。それを見た次の瞬間には、珪が僕を窓辺に縫いとめていた。
「シ、リカ?」
 乱暴に押された所為で、背中に出窓の縁が当たる。じわじわとした痛みがあるが、シリカの瞳から目が離せなかった。
「何度も言わせるな。夏になる前に言った事を、もう忘れたのか?」
 一段低くなった声にぞくりとする。反射的に抵抗するけれど、脚の間に珪の膝を割って入ってきた。
 シリカは片腕で僕の腰を抱いて、これ以上ないくらいに密着させる。
 夏前。ピアスを互いに分け合った夜。竹造先輩を名前で呼ぶ事にした日や、僕のことをヘイゼルと呼ぶようになった時の事だと思い至る。
「……嫉妬、しているの?」
 僕の思惑通りだったのは良い。でも思っていた以上に怒らせてしまったみたいだった。
「ここ数日、わざわざ己れを立ち入らせない様にして、妙な声を出して、まだ恍けるというのか。」
 僕の鼻筋にキスを落とした時よりも、烈しさを抱えた貌をしている。胸板を弄られ聴診器の時とは比較にならないくらいの刺激に、僕は身体を跳ねさせた。
「待って、シリカ!」
「煩い。」
 髪を引っ張って横を向かせられたかと思うと、ピアス穴があいた耳朶にぬるりとした感触が這う。チクリとした鋭い痛みと舌の濡れた感触を交互に与えられて、どうにかなりそうだった。
「……ッは、……!」
 堪らず息を吐く。ぢゅう、と下品な音がして生々しく妖しい雰囲気に酩酊してしまう。あのシリカの薄い唇が、僕の肌を吸っている。現実に起きてることを自覚すると、歓喜とも恐怖ともつかない震えが背筋を走っていった。
「駄目だ、珪……! いっ、厭だ、それ!」
「厭? 何が厭だと言うのだ、己れの清陽。」
「耳元で、そんな音……! や、ああぁ!」
 水気を含んだ音をわざと立てられて、あられもない声が溢れていく。飢えていたのかと思える程、素直に悦んでる身体が恥ずかしくて、必死に口を噤もうとした。飛び出しそうになる喘ぎを我慢する姿に充てられてか、シリカの行為はエスカレートしていくばかりだった。
「ひっ、……!」
 再び髪を引かれ、上を向かせられる。首筋が露わになった体勢に、息が詰まりそうになったけれど、大きく開いた口で食らいつかれた所為で、甘息が漏れた。
 嗚呼、どうしよう。僕、今すごく興奮している。このまま止まらなかったら、僕等はどうなるのだろう。
 シリカの激しい愛を受け止められる事に、頭の芯が痺れてしまうほどの幸福を感じ取る。逃げる振りをして首を捻ると、外で先生が何故か立ち止まっているのが見えた。嵐の様な強風の中、こちらを呆然と見上げて立ち尽くしている。
 シリカに耳や首筋を舐られたまま、先生と視線が絡んだ。先生から見たら、僕が一方的に襲われている様に思えるだろう。そしたら飛んで戻ってくるかもしれない。
『僕の珪、可愛いでしょ? 』
 そんな風に思いながら、僕は口の前で人差し指を添えて笑う。内緒、と口を動かして、シリカを誘うように身体をくねらせた。僕が仕組んで望んだ結果なのだから、甘受せずにはいられない。
 やがて先生は我に返ったのか弾かれた様に背を向け、急ぎ足で立ち去っていく。先生には申し訳ない様な気持ちが湧くけれど、ヤキモチ焼きな珪を焚き付けられた事には満足していた。
 途端、珪は僕に対する拘束を一気に解いた。名残惜しさは当然あったけれど、僕も我に返ってしまった。

 親友であるならばいつも通りにならなければ、と。

「全く、僕のシリカはどれほどヤキモチなんだい!」
 解放されてすぐ、僕はシリカに抗議した。いつも通りの素振りと表情で言えば、僕の珪は涼しい顔をしてそっぽを向く。
「勘違いさせるお前が悪い。それに先生は巻き込むな。迷惑だろう。」
 今しがた起こしたシリカの行動が一番巻き込んでいると思うのだけど、という台詞は飲み込んだ。先生に見られていると知ったら、僕の珪はどんな貌をするのか気になるところだけれど、先生には秘密にしてもらうほうが良い。
「……本当に、先生にしか分からない事を聞きたかったんだ。」
 しおらしく、でも内容は口にはしない。先生にしか分からない事を聞けたのは事実だし、それは企み事に化けた。
 僕の珪は小さく首を横に振る。
「その相談はまだ続くのか。」
「いいや。今日で全部分かった。だから、明日からは一緒に診察を見て欲しいな。」
「当たり前だ。元よりその役目は父様と母様から仰せつかっているのだからな。」
 額を寄せ合えば、久しぶりの温もりに触れられた心地がする。珪にジタバタしてもらうだけで良かった筈が、僕自身も寂しかったみたいだ。
「熱は引いたみたいだな。」
「外出の許可は貰ったよ。観測に行くなら念入りに温かくしなさいって。」
 何と言っても、毎年恒例の天体観測だもの。星降る夜を過ごすため、僕達は準備に取り掛かった。
 
 ◆ ◆ ◆ 
 
 今年もこの道を通ることが出来た。僕は明らかに浮かれてしまっていて、シリカに諌められる。
 真夜中の山道は只でさえ何が棲んでいるか分からないし、ランタンが照らすのは数歩先くらいで危険が潜んでる。それでも、毎年行きたくなるくらいには絶好の夜空が見える湖があって、僕等は早足でそこへ向かっていた。
 そして何より、いつもと違って心踊る理由がもう一つ。
「珪! また一つ見えた!」
「ちょうど見頃だな。」
 流星群が重なったのだ。木々に隠れた空の中でも既に幾つか流れる線を何度も見た。鼈甲飴が解けた時みたいな細い糸の様な尾を引いて、声を上げる間もなく消えていく。
「シリカ、早く!」
「そう急かすな。また転ぶぞ。」
 手提げ用のランタンが乱雑に揺れて、影さえも踊っている。逸る足を落ち着かせながら、目的の場所へと登りついた。
 
 拓けた世界に息を呑む。
 穏やかに揺れる湖の水面。夜空が反射して、この世の物とは思えないくらい不思議で心奪われる光景だった。様々な星が敷き詰められていて、その中を、箒星が活発に燃えて消えていく。絶え間なく降り注ぐ星々が、山の影や別の星の光に吸い込まれていき、鏡面がそれを万華鏡みたく映していた。月は見当たらず、紺碧が広がるだけだ。美しすぎて、僕は脚が竦む思いをした。
「なんと、見事な。」
 そう呟いた僕のシリカは、星明かりに照らされて浮世離れした美しさを湛えている。観測と流星群と重なったのは偶然で、奇跡だとさえも思った。星々が手を伸ばせば、或いは湖に飛び込めば掴めそうだというのに、シリカがその一部となって消えていってしまいそうだった。特別な風景が、今はたった二人だけの物である喜びと、シリカが遠くへ消えていってしまう不安で、僕の身体が震える。
 神様に連れ去られてしまったら、どうしよう。
 僕ばかり、死の恐怖が身近にあると思っていた。でも、シリカの両親だってある日突然死んでしまったんだ。
 シリカだって──。
 僕は、珪の右手をとって、指を交差させる様に繋いだ。確かにある熱が、上手く感じられなかった。
「清陽?」
 花火の時と同じだ。返事の代わりに手を更に強く握る。ちゃんと繋ぎ止めておきたくて、縋る様に指の輪郭を確かめていた。
「どうした、己れの清陽。」
 繋がれた腕を要にして、シリカは僕の身体を引き寄せる。空を、湖を、シリカさえも見るのも苦しくて、僕は貌を伏せた。
「珪が……。」
 か細くなった声しか出ない。女々しいと笑われるかもしれない。
「昏い水の底か、或いは遠く果ての無い空の先に、引き込まれてしまう気がしたんだ。」
 言葉を選んで、どうにか絞り出す。僕の珪が、海辺で僕を引き留める様に抱き締めた事があったのを思い出す。シリカはシリカで似た事を考えていたなら、嬉しいと思う反面、苦しさが強かった。
「莫迦だな、ヘイゼル。お前が居るというのに、己れがお前を放って何処かへ消えるものか。」
 シリカが僕の手をぎゅっと握り返す。僕の震えが伝わってしまうことが恥ずかしい。下を向いていたら絶えず泪が落ちそうで、僕は天を仰ぐ。満天の星空が眩しい。星にまつわる御伽噺めいた事を思い返して、僕は口を開く。
「……天界が地上を覗き見ている時に、向こうの光がこちらに漏れ出でて、流星となるそうだ。」
 珪は、静かに僕の話を聴いてくれた。手の温もりが、互いに離れない為の繋がりだ。
「天界の扉が開いているから、今なら神に願いが届くらしい。」
 上を見ても重力には逆らえず、泪が頬を伝って音も無く流れていく。
「シリカ。君なら、一体何を願う?」
 神様なんて信じていないかもしれない。それでも祈らずにいられない事もある。
 僕の珪は暫く考えた後に、手を繋いだまま、貌の位置まで掲げる。手の甲に唇を寄せるシリカは、神聖な儀式を執り行う神官のような、厳格かつ高潔さに満ちた姿だった。
「一つ、お前が健やかである事。二つ、お前と共にある事。三つ、お前と二人で生きる事。」
 目を閉じ、祈りを込めて唱えられた言葉は、祝福の様でもあり、宣誓の様でもあった。
「随分、欲張りだなぁ。」
 僕のシリカらしい、と張り詰めていた心が少し緩む。
 君の言う「お前」は、当然生きている僕を指すのだろう。君が僕を忘れるとは思わない。けれど、忘れたくても忘れられないほど、僕全てを刻んで欲しいのに。
「この流星の数だけ、向こうへ筒抜けなのだ。人間は強欲であるから、仕方が無いだろう。」
 シリカの指が、僕の泪を拭う。
 僕を見つめるシリカの瞳。暗闇の中でもより深い黒が、星影を映している。強い煌めきを携えるオニキスは、芯の強さが見て取れた。
「清陽。己れの清陽。己れのヘイゼル。
 己れはここにいる。何度でも言ってやる。だから、忘れるな。」
 シリカはもう片方の僕の腕で腰を引き寄せ、手の甲へ口付ける。さっきのキスとは違って、烈しさが見え隠れするものだった。
 
 嗚呼、敵わないや。
 
 僕は、力の抜けた笑みを浮かべる。
「一つ、僕のシリカ・・・・・が健やかである事。二つ、僕のシリカ・・・・・と共にある事。三つ、僕のシリカ・・・・・と生きる事。」
「己れと同じで、良いのか。」
「これ以上の贅沢、この世では思い付かないよ。」
 同じじゃないんだ。僕の珪。卑怯な僕を許してくれ。
 僕のシリカが、僕のものである限り……。今の君ではなく未来の君も含んでいるんだ。たとえ僕が死んでも、君にずっと愛されていたい。僕を愛する限り、君は僕のシリカなのだから──……。
 今度は僕が、珪の甲へ。繋いだ手の向こう側で、シリカの瞳を見つめる。
「御免よ、珪。」
 これは呪いだ。願いなどという皮を被った、もっと利己的で、相手の事を拘束する茨の蔓だ。
「何でも良い。お前さえ、己れのヘイゼルであれば。」
 シリカは、僕を喜ばせる言葉ばかり、僕に寄越してくれる。
 星々の光が降り注ぐ中で祈りを捧げながら、互いの甲に何度も接吻し合う。それは祝福し合う様でもあったし、互いを現実に縫い止める様でもあった。
 そこに言葉は無い。愛しているという囁きさえも無い。角度を変え、視線を交わし、僕達は天地が交わり一つになる様な浮遊感と脱落感を味わう。
 
 瞼の裏は、眩むほどの目映い星の欠片が散った。
 珪もまた、美しい星々を纏った瞳を煌めかせていた。